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沼田城 [城]

高校生の時、暇さえあれば読んでいた歴史小説が『真田太平記』であった。
思えばあの時から真田氏に魅入られ、登場する場所へはいつかはこの足で立ち、いつかはこの目で見てなんとなくでもその世界や雰囲気を味わいたいと思っていた。
そんな夢の旅がついに叶うこととなり、その一歩がここ沼田城から始まるのだ・・・
遅刻したけどね[黒ハート]

関越自動車道 沼田I.Cを降りて国道120号線をとにかく沼田方面へまっすぐ向かう。
途中120号線はクランクするがそれも無視してまっすぐ進み沼田市役所を超えた郵便局の辺りの西倉内町の交差点を右折してしばらく走ると左手に公園と野球グラウンドが現れる。

この公園が沼田公園として整備された沼田城である。
沼田城二の丸.jpg
この野球場も二の丸であったと思われるが、堀跡など曲輪を思わせる遺構に乏しくなかなかその姿を捉えられない。
写真正面の野球場と本丸方面の境に土塁らしきものも見られるが、造成の跡かもしれない。

今回のおおまかな沼田城めぐりルート
沼田公園案内図1.jpg
赤線のルートで公園内を・・・城内をめぐった。
赤文字のA~Fは俺の城!解説ポイント!
と いうのも
恥ずかしながらブランクからか城めぐりモードに入り切れておらず
ただの観光客と化していまして・・・
今こうやって撮ってきた写真を見ながら城めぐりをまとめていても
ポイントを押さえた写真が全く撮れていない・・・トホホ・・・でも記憶と文章でカバー!

野球場の脇を興奮気味に歩き、テニスコートの先に見えた土塁状地形を目指して行く。
今思えばこのポイントFは櫓台かなにかではなかったのかと思われ・・・
まぁ写真も無いのでぇ・・・と
その土塁状地形を越えると溜池があった。
本丸側の石垣が妙に古っぽいなぁ・・・と見ていると
本丸堀跡.jpg
実はここポイントAは本丸堀の名残だそうで、堀幅十二間(約24m)あったそうだ。
そして写真手前側の通路にはポイントB・本丸御門跡がある。
沼田城本丸御門跡.jpg
写真奥は二の丸グラウンド・・・野球場で、
右側の木々の間からうっすら見える東屋付近が小高くなっていて櫓台跡っぽい場所。
そして本丸御門をくぐったつもりで反対側に進むと・・・本丸跡となる。
ちょうどほらっちょ氏が我が息子をモデルにネタ写真を撮っていた・・・
城マニアの父に翻弄される子供之図・・・ウチも普段はこんなに微笑ましいのねぇ~アハハハ・・・
沼田城本丸跡.jpg
本丸内は公園として整備されていてシンボル?の鐘楼が建てられている。
写真右奥に沼田城内でも城らしい名残のみられるポイントCの西櫓台が見られる。
沼田城本丸.jpg
その西櫓台と堀跡・・・本当はこの反対側に立派な石積みがあったのだが写真ナシ!
オレ・・・なにやってたんスかねぇ・・・石垣に沿って回る様にスロープ状の通路があり、そこを通って初めて沼田城の立地を感覚的に理解できるのだ。
ちなみに石垣西側には石の突き出した個所もあり素人目には要補修に見えた。
沼田城西櫓台跡.jpg
本丸から西櫓台の脇を通ってたどり着いたのはポイントDの捨曲輪。
絵図などでは古城などとも呼ばれている曲輪だ。
正面の通路は後設置だが、こうして捨曲輪から本丸を見ると本丸との高低差も解る。
捨曲輪から本丸.jpg
捨曲輪から名胡桃城方面を見る・・・ピントが手前の木に・・・ではなく
利根川の河岸段丘上の好立地であり、越後と関東を、さらには信濃を結ぶ交通の要衝であったこの沼田城の重要性がうかがえる。
沼田城から名胡桃城.jpg
捨曲輪東側には堀の役目を担ったであろう谷がある。
保科曲輪側は宅地化していて擁壁工事が成されていた。
捨曲輪脇の堀.jpg
捨曲輪より再び本丸へと戻る。
写真左側の小高くなっている木立には・・・
捨曲輪から本丸へ.jpg
利根英霊殿が建てられていて、実はここは・・・
沼田城天守台.jpg
沼田城の天守跡だったのでした。
ポイントEのここに九間×十間(約18m四方)の五重の天守が建っていたとか。
関東にあって五重の天守があったのは江戸城の他はここ沼田城だけであったようだ。
天和元年(1681)沼田真田氏の改易とともに建物は破却され堀は埋められたそうです。
沼田城天守台跡.jpg
天守台北側の窪地。
先ほどの捨曲輪の堀はここま伸びていたようだ。
沼田城天守台裏の堀.jpg

沼田公園内の生方記念資料館などの受付で簡単な資料をいただいたので
そこから沼田城の歴史を紹介したい。

沼田氏と沼田城
       沼田市は群馬県の北部に位置し、四方を山に囲まれた盆地を中心として、利根川や薄根川・片品川周辺には非常に高い河岸段丘が発達しています。沼田公園のある崖上の台地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏(ぬまたし)の十二代・万鬼斎顕泰で、天文元年(1532)の頃であると云われています。倉内城とも呼ばれたこの城は、関東へ至る要衝の地にあることから越後の上杉氏や小田原の北条氏、甲斐の武田氏などの戦国大名によりめまぐるしい争奪が繰りひろげられることになりました。
 天正八年(1580)武田勝頼の命により沼田に進出した真田昌幸は沼田城を攻略し、さらに翌九年には沼田城の奪還に来攻した平八郎景義を謀殺して沼田氏を滅亡させました。しかしこれ以後、この地の領有を主張する北条氏とこれに応じない真田氏との間に沼田城をめぐって攻防が続きましたが、同十八年(1590)に北条方が真田方の名胡桃城を不法に攻略したことが契機となり、北条氏は豊臣秀吉の小田原城攻めにより滅亡しました。秀吉は真田昌幸に対し信濃2郡と利根・吾妻の旧領を安堵し、昌幸は沼田城を嫡子の信幸に与え信濃国上田へ移りました。

真田氏と沼田城
       2万7千石の真田氏初代沼田城主となった信幸は近世的な城郭の整備にとりかかり、二の丸、三の丸、堀、土塁、大門等の普請の後、慶長二年(1597・一説には十二年)には天守が完成したと云われています。現在の熊小屋付近に建造された天守は、幕府に提出した城絵図や古文書から規模は「九間 十間」で「五重」であったことが分かっています。 真田氏はその後二代信吉、三代熊之助、四代信政、五代信利と約一世紀にわたって沼田領を治めていましたが、天和元年(1681)11月、五代信利は江戸両国橋用材の伐出し遅延と失政の名目で城地は没収、改易となりました。城は幕府に明け渡され、翌二年に城はすべて破却されて堀も埋められました。

その後の沼田城
       真田氏改易後、旧真田領は天領となりましたが、元禄十六年(1703)本多正永が幕府より沼田城復興を命ぜられ2万石で入封しました。しかし、城の本格的な復興はなされず、城破却で埋められた堀の整備や土塁の構築などが行われたのみで、本多氏三代のあとは再び代官支配となり、その後享保十七年(1732)黒田直邦が3万石で入封し、二代続きました。寛保二年(1742)には土岐頼稔が3万5千石で入封し、土岐氏は十二代頼知で明治維新を迎えて沼田城は廃城となりました。真田氏改易以降は三の丸に藩邸が建造されたものの、天守が再び建造されることはありませんでした。
 大正五年(1916)、旧沼田藩士の子である久米民之助(沼田市名誉市民)は、城地の荒廃を惜しみ私財を投じて購入して公園として整備し、大正十五年(1926)に沼田町に寄付されました。

現在の沼田城
             現在、本丸と捨曲輪と二の丸・三の丸跡の一部が沼田公園(一部市指定史跡)に、総曲輪の一部が沼田小学校や沼田女子高等学校の敷地となっています。本丸跡に西櫓台と石垣、本丸堀の一部がみられ、僅かに城の名残を留めています。本丸跡には鐘楼が建設され、真田信吉が鋳造させた城鐘(県指定重要文化財)が釣下げられています。二の丸跡には、旧生方家住宅(国指定重要文化財)や国の登録有形文化財の旧土岐邸洋館、旧日本基督教団沼田教会紀年会堂が移築されています。


二の丸野球場を一周し駐車場へと戻り沼田城を後にした・・・
我が家の遅刻のせいで正覚寺へは行けなくなってしまったけど・・・
沼田城遠景.jpg
次の目的地である名胡桃城へ向かう車中から沼田城を見る。
利根川沿いの河岸段丘を薄根川と片品川によって削り取られた地形は
こちらから見ると小山のようで難攻不落の要害であったことがうかがえる。


小説『真田太平記』での沼田城の印象といえば真田信幸に与えられた城でもあるのだが、
城代となった矢沢頼綱がよく守備し北条軍の侵攻を抑えていた場面がうかぶ。
矢沢頼綱とは真田幸隆の弟で真田昌幸の叔父にあたる人物である。
真田昌幸が本拠を守り通せたのもこの叔父の存在と活躍はおおきい。
そんな矢沢の叔父に、ついつい真田昌幸になったつもりで叫んでしまう!
「おぉじぃごおぉ~っ!」

沼田城をめぐってのいざこざは真田家のみならず天下の形勢にも影響を及ぼしてゆく・・・
ちょっと言いすぎ?
そんな沼田城の印象が少しは形になった気がする。


小さくなってゆく沼田城を見ながら感慨にひたるのだった。


ちなみに妻のマダムのなかでは、「犬伏の別れ」の後に沼田城に孫の顔を見たいと寄った
真田昌幸を城内へ入れなかった小松殿の勇壮が浮かんでいたそうだ・・・どうりで・・・


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コメント 3

ほらっちょ

ん~いいねぇ(^^)
早く次もアップしてよ。
オレも便乗したいので(^^)/
(追い越しちゃマズいだろ?)
by ほらっちょ (2013-12-21 21:55) 

ほらっちょ

あ・・・今後の記事でも、太っ腹なオレは肖像権を赦すけど、
「カッコイイ」ビジュアルのみ可ね(^^)
後は裁判ざただぞ(-_-)
by ほらっちょ (2013-12-21 21:58) 

俺の城!

しょうぞうけん?
しょうりゅうけん?
しょうぞうはこぶへい?
ビジュアルは問題なかでしょう・・・
ほっらっちょどんはよか漢たい!

という訳で今後使いたい写真が数枚あるのですが
裁判覚悟で臨みます!
by 俺の城! (2013-12-23 17:56) 

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