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武田信玄は御柱祭を見たか!? [歴史]

御柱祭を記事にしていて、戦国期の御柱祭はどのように行われていたのだろうか、また諏訪を手中にした武田信玄は御柱祭にどうかかわったのだろうかと疑問がわいてきた。
武田信玄は先祖代々諏訪信仰であったことや政略的な理由から、諏訪大社の再興や神事の復興に大変尽力してきている。
そんな事からも御柱祭へのかかわりも気になるところだ。

ある歴史小説の中で武田信玄を表現するのに御柱祭が用いられていた事を思い出した。
以前に紹介した「是生滅法 小説箕輪城 長野業政と武田信玄」である。
どのような事が書かれていたのか・・・久々に読み返してみた。

武田信玄が三百ほどの手勢を率いて上原城から茅野長峰の岡の上へと御柱祭を見にゆく所からそのシーンは始まる・・・どうやら木落とし見物らしい。
それから御柱祭の説明があり、そして諏訪頼重が度重なる出兵からの疲弊や、度重なる飢饉から領民をおもんばかって御柱祭を中止したことから諏訪総領家としての人望を失なっていたことになっている・・・御柱祭の行われなかったことはなかったのでは・・・歴史小説だからしょうがないか。

勇壮な木落としや興奮する民衆に甲斐の将兵たちは度肝を抜かれ唖然としている中、
信玄は将兵たちに問いかける「おぬしたち、この奇祭をなんと見る」
急な問いに窮する部下たちの中で上原城代の板垣駿河守をはじめ高坂弾正や飯富兵部らが答えるのは「この熱気や力は戦に使える」という一点。
しかし信玄は「百姓にとって領主など誰でもよいのだと思うぞ」と言い
「百姓から僅かな楽しみを取り上げてはいかぬ。一つ二つでも与えておけば政治(まつりごと)などはどうでもよいのじゃ。力のある者の思うがままじゃ」と続ける。
ふだんどんなに租税を搾り取ろうと、凶作のときに僅かばかり恵んでやり日頃の憂さを晴らす工夫さえしてやれば百姓たちは善政だ名君だと讃えてくれる・・・と、この物語での武田信玄が見えてくる。


歴史小説に御柱祭が登場するのも珍しいので記憶していたのだがこんなシーンだったのね。
確かに凄まじい人の力に圧倒される祭りなので、諏訪を手中に収め諏訪大社復興に尽力した武田信玄と結びつけるのは、物語を組み立ててゆく上でとても魅力的だと思う。

しかし実際はどうだったのだろう?
武田信玄は御柱祭を見たのか?
素人ではとても調べられないので、
諏訪の博物館や史料館でそんな企画展やってくれないかなァ・・・


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コメント 4

官兵衛

 ブロクの衣替えですか、訪問したとき、別の方のところへ来たかと
思い戸惑いました。
 最近は攻城は ?
 楽しみにしております。

by 官兵衛 (2010-05-25 10:23) 

俺の城

>官兵衛さん
いやいや?なにもいじってないですよ?

城めぐりは冬のストックを次回辺りから
記事にしてゆきますので乞う御期待!!
・・・って期待させておいてぶれちゃったりして・・・てへへ
by 俺の城 (2010-05-25 19:54) 

ほらっちょ

閉店=倒産=止め止め
・・・と思っていたブログを久々に見たら更新されている!
これは・・・事件じゃな。

このネタはなかなか面白い。
もっと、ヤレヤレ! ほれほれ♪
by ほらっちょ (2010-05-27 19:39) 

俺の城

>ほらっちょ氏
しょっちゅう閉まってる怪しい名店みたいで良いでしょ(笑)
並んでいる商品(記事)も魅力的だが怪しい…ってね
by 俺の城 (2010-05-29 03:06) 

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