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諏訪大社式年造営御柱大祭 [歴史]

信州諏訪大社で七年目毎の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅のモミの大木を建て替える祭りがおこなわれている。
「諏訪大社式年造営御柱大祭」・・・通称「御柱祭」である。
御柱祭はかつては信濃の国をあげての大祭であらゆる建物の造営も行われてきたようだが、諏訪地域によっての御柱の曳と建てだけは残って来たようだ。
御柱祭木落とし.jpg
・・・といってももうすでに全行程終了し、柱はすべて各お社の四隅におさまっている。
タイミングを恐ろしく逃しているのだが、御柱祭の雰囲気はマダム機長にまかせるとして・・・
興味深い話が幾つかあったので紹介したい。

御柱祭山出し初日は消防団員として地元の警備を行いながら、その合間に地元ケーブルテレビ局の御柱生中継を見ていた。
そんな中でお年寄りから思い出深い御柱として昭和十九年の御柱祭の話しが紹介されていた。
若い男衆は戦争にかりだされていて御柱の曳き手が足りないので、子供達が先生に引率されて御柱を曳きに行ったのだという。
戦前までは「男の祭」であったようなので女性が綱を曳いたり柱に乗る事は許されなかったらしい。
それゆえに子供たちが動員されたという記憶を残すこととなった。
また戦中か戦後の曳行への協力を見合わせた地区などは今もって主要な箇所の担当を任せてもらえない根深い遺恨があったりもする・・・


御柱祭には特殊な役割を担っている地区があるのも歴史を感じさせる。
伐採用具の清めから御柱となるモミの伐採を担当する地区や、御柱休め(今まで建てられていた御柱を抜いてその地区の神社へ運んで儀式を行う)から御柱を建てる穴を開けて建てられた御柱を埋めて固めまで行う地区もある。
また建御柱に必要な特殊な「七五三巻き」も伝承者に受け継がれているようで全ての御柱を担当している。


凄まじい人の力によって山から里におりてきて御神木となる御柱。
曳いている人たちの様々な思いが柱に宿るとしたらそれは強大なものであろう。
御柱祭建御柱.jpg

それから、今回は息子を連れての初めての御柱祭であった。
諏訪に生まれた男子として御柱祭にかかわってゆくのだろうが、まずはその一歩を踏み出した。
・・・母の血が騒げば強力な祭り男となるであろう・・・


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コメント 2

マイケル

迫力ありますね。
一度見に行きたいですね。
次は…?
by マイケル (2010-05-22 16:52) 

俺の城

>マイケルさん
コメントありがとうございます

遥か昔から脈々と続いてきた神事の様な祭りなだけに
凄まじい人間の力を感じます。
是非次回は肌で感じてみて下さい。
次回は2016年の申年です。
by 俺の城 (2010-05-23 08:50) 

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