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天正壬午の乱 [歴史]

天正十年(1582)三月に武田家が滅亡し、その旧領は織田家の統治下となった。
しかし同年六月の本能寺の変により織田勢力の去ったその旧武田領は
小勢力の国衆を巻き込んだ徳川・北条・上杉の争奪の場となった。

この一連の争乱が「天正壬午の乱」と呼ばれている。

冬は寒いので少しでも南の山梨県の城めぐりをしていると
案内によく「天正壬午の乱」の記述が見られる。
特に若神子城と新府城はこの地での合戦の北条と徳川の本陣となり
周辺の城を含めこの争乱のために改築された城跡もあり興味深い。

北条方の本陣が置かれた若神子本城
若神子城X.jpg
徳川方の本陣が置かれた新府城
新府城X.jpg

・・・しかし・・・よく知らない・・・

そんなとき目にしたのが 平山優著「 天正壬午の乱 」 であった。
武田家滅亡から天正壬午の争乱の終結までを史料を編纂して解説した
まさに城めぐりの資料ともなる一冊である。

天正壬午の乱

天正壬午の乱

  • 作者: 平山 優
  • 出版社/メーカー: 学習研究社
  • 発売日: 2011/02/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


一年くらい読んでいるんだけど・・・まだ読み終えてないんだよねェ・・・
この本読み終えたら「天正壬午の乱の城をめぐる」にとりかかるかな?

でも疲れて読んでいると翌朝になってしまう、
まさに「睡眠導入之書」となりつつある・・・


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コメント 2

官兵衛

 マイナーな城、 期待しています。
 テーマが学問としていながら、嘘ばかり書いている人がいます。
 学問でなければ、ゆるされるでしょうが、城はすべて復元しいい、
城の庭園ができれば、もっと城らしい庭園にしてもらいたいとか、
秀忠・お江の墓が、そして春日局の墓までもが京都にあるといい
供養塔を墓といっているので、指摘したところ、「直しておきました」
との答え、なんかこちらの間違いを直してもらったみたいで、すごく
不愉快でした、そして自分のブログでは間違っていたとは書いていない
それを読まれたかたはまちがったままを覚えてしまいます。
 馬鹿らしくなったので、最近は指摘していませんが、歴史や城の
ファンをへらしたくはありません。

by 官兵衛 (2012-02-06 09:56) 

俺の城

>官兵衛さん
お久しぶりですね。
超不定期にアップする記事へのコメントありがとうございます。

自分も今まで何を書いてきたかちょっとドキドキしてしまいます。
現地で見たことと書籍などで得た情報とを
うまく自分の中で消化できているのだろうか?
知ったかぶりだけはしない様に気をつけている・・・つもりです。

ウェブ上で得た情報を我が知識として書き込んでゆくと
偽情報が事実のように拡がっていってしまいますよね。
百聞は一見にしかずですかね。
by 俺の城 (2012-02-07 13:59) 

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