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金鶏金山 [歴史]

金沢林道にあった金鶏金山には、我が一族のルーツがあるので見ておかねばならない。
金鶏金山付近略図.jpg
武田信玄が北方を除いて信州をほぼ攻略した永禄の頃(1558~)から発掘は始まったようだ。
ここ金鶏金山も武田家を支えた甲州金を産出した重要な金山のひとつであった。
甲州や信州の占領地から金掘り夫を連れてきて採掘をしていたようだ・・・というのも、
母方の御先祖様は佐久から連れてこられたそうなのだ。
ちなみに父方の御先祖様は武田家滅亡後甲州からやって来て、しばらく金を掘っていたようだ。

武田信玄の頃のつるし掘り跡が「この上すぐ」とあるからちょっと登ってみよう・・・
つるし掘跡へ.jpg
でも登り始めてちょっと心配になってくる・・・
林を登る.jpg
しかし気が付くと辺りには無数の擂鉢状の穴の跡が・・・どうやらこれらが露天掘りの跡らしい。
横穴の坑道を掘って採掘する技術は武田信玄の頃にはまだ無く、
縦穴を掘って採掘をしていた・・・と、何かの本で読んだ記憶がある。
ここ金鶏金山ではこの採掘方法を「つるし掘り」と呼んでいるようである。
大分風化してしまってはいるが確かにここで金が掘られていたのだ。
つるし掘跡1.jpg
つるし掘跡2.jpg
林道下にも遺構があるようなので行ってみよう。
採掘の遺構へ.jpg
通路脇から沢沿いに屋敷跡や人夫小屋跡の削平地が見られる。
屋敷跡.jpg
しばらく歩いて行くと開けた場所に出る。
その少し山側に不動明王がこちらに睨みをきかせている・・・でも案内には不動明王の碑とある?
どうやら碑文には明治31年に認可された採掘許可が記されているようだ。
不動明王.jpg
いちばん開けている辺りに事務所跡がある・・・この辺りは明治期以降の遺構であろうか。
戦後まで人を変えては幾度にも創業されてきたようだ。
事務所跡.jpg
事務所跡の下には焙焼炉の跡と水車場の跡があった。
焙焼炉で焼いた鉱石を水車の力で砕いて・・・
水車場焙焼炉跡.jpg
事務所跡と焙焼炉の間に設けた水路に藁で編んだ筵(むしろ)を敷いて、そこに流した。
そうすると砂だけが流れて莚の目に金だけが残り、それを精製したという。
藁で編んだ筵を「ねこ」と言う事から「ねこ流し水路」と呼んだそうだ。
ねこ流し水路跡.jpg
この他にも武田抗・弁天鋪抗跡、川下に鶴抗・亀抗跡があった。

父方の御先祖様も、母方の御先祖様も八ヶ岳の麓に雪のあまり積もらない所を見つけた。
またその辺りには水があるらしく光り輝いていたともいう。
しかしその辺りは諏訪明神の狩場(神野)で人の住んでよい土地ではなかった。
原村方向.jpg
ちょうどその頃、戦の世は終わり諏訪高島藩主・諏訪頼水は内政に力を入れ、諏訪湖の干拓や新田開発を行って石高を上げようとしていたのだった。
御先祖様達四名は頼水公より開発の許可を得て、彼の地へと住み着いたのだった・・・

日当たり良く温暖な土地で雪も早く消える・・・
それはただ寒風強く吹き雪も積もらない極寒の土地だったのだという。

そんな先人達からの苦労が実り、今ではとても住みやすい素晴らしい土地となっている。

突然思いつきで金沢林道を登ってここへ来たのだが、400年前の御先祖様達の熱い思いを感じるためにここに呼ばれたのではないかと思えてならない。
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