戸石城① 米山城 [城]
別所の湯で鋭気を養い、いざ戸石城へ!
久々のなめて登ったらいけない山城・・・戸石城
戸石城に関しては砥石城、本城、枡形城を砥石城として、その支城の米山城として分けているものがあったりと解釈は様々のようだが、今回はオールドスタイルの米山城、砥石城、本城、枡形城をもって戸石城としたい。
国道144号線の伊勢山の信号に戸石城への案内があるので導かれるように曲がって、
しばらく案内に任せて進むと戸石城の駐車場がある。
今回は縄張図よりも所要時間や注意書きもあるパンフレットを参考の登城とした。
戸石城縄張図 赤線が今回の米山城までのルート
宮坂武男著 「図解 山城探訪 第三集 上田小県資料編」より戸石城縄張図
この縄張図では今呼ばれている本城と枡形城とが逆になっているのだが、当時作図された宮坂武男氏は地元の伝承や『長野県町村誌』を参考にこのようにされたそうだ。
このブログでは城にあった案内にしたがいパンフレットに合わせたいと思う。
さてさて、駐車場から戸石城を目前にするとその山城感に圧倒される。
あらためて靴の紐を締め直し、暑くなるだろうから着ている物を軽くして登山に備える。
駐車場から登り始め「なめんなよ!」の案内に気を引き締めると櫓門が見えてくる。
実際の大手口はこちらでは無いのだが、これはこれで登城の意欲が・・・!?
櫓門に掲げられているのは誰?
あ~あ~ゲームからアイドル化した半裸の幸村か?
・・・と油断しているところを城兵に狙撃されてしまった!!
そうか!そういうトラップだったのか~!
そんな訳はないだろうがこれはちょっと・・・邪魔・・・言葉悪いけどこれは求められてないでしょ!
うぐっ!うげっ!槍はやめて!!・・・求められてたの!?
と、心の声はともかく櫓門には登る事が出来て上田方面も良く見えます。
それでは櫓門をくぐってまずは米山城を目指す。
途中の開けた場所からこれから登る米山城を見る。
子供達は先にある何かを求め先を急ぐ・・・手前の俄ハゲのおっさんがワ・タ・シ・・・
城めぐりしている自分の姿が見られるのはなんだか新鮮!
最近ほらっちょ氏から写真提供があったので早速のブログ利用・・・フリーフォトですよね?
この先に米山城と砥石城の分岐があり、今回は先に米山城からめぐる。
登り始めるとかなりの傾斜に土に落ち葉・・・滑って登れません!
パンフレットにも書いてあったが、そんな登城者のためにちゃんとロープが設置されていました。
登ること十分そこそこで米山城の本郭へ到着。
米山城コースはこの辺の小学生の遠足コースでもあるらしい。
正面の石碑は村上義清公之碑で、その先にはこれから下って登る砥石城がぁ・・・
ここに米山城の案内板があったので説明を見てみよう。
長野県史跡 戸石城
米山城
戸石城は本城を中心に北に桝形城・南に砥石城・西南に米山城の四要害から構成されている堅固な連郭式の山城である。築城年代は明らかでないが、室町時代後期 坂城の村上氏が、小県方面へ進出する拠点としていた。
天文十九年村上義清が、武田晴信の軍を大敗させ、世に「武田の砥石崩れ」と称されたが、翌二十年真田幸隆は調略を用い、独力で攻略した。やがて幸隆の子昌幸はこの城を居城としたが、天正十一年上田城に移った。それ以後も上田城外護の要害として重要視された。
米山城は、砥石城の西南方の峰続きにあって、本郭の南下に二の郭、三の郭を配置し、その下に腰郭も築かれている。また白米を馬の背に流して、水が余るほどあることを敵にみせかけたという、白米城伝説も残されている。
なるほど、本郭から南側には段々に郭が配されている。
パンフレットによればこちらを登ってくる金剛寺ルートありとのこと・・・登り約三十分なり・・・
米山城から上田城を中心に視界が開けている。
米山城を満喫したので砥石城を目指して今来た道を下りなければならない・・・
子供達ぃ~慎重にぃ~慎重にぃ~
あぶない!下り要注意・・・重々分かっています!
枯葉の積もるこの岩場を慎重に下りると・・・
ふゥ~やれやれ・・・先ほどの分岐に到着!
休むことなく砥石城へと歩を進めるのだった・・・次回へつづく