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戸石城② 砥石城 [城]
前回からの続き・・・
米山城を分岐まで下りてきたので、今度は砥石城を目指す。
戸石城縄張図 青線が今回の砥石城ルートで本城付近の大手口まで行く。
宮坂武男著 「図解 山城探訪 第三集 上田小県資料編」より戸石城縄張図
登り始めから要ロープの険しさ・・・このまま上まで続くのなら軍手が欲しいところだが・・・
途中から階段が整備されていて登りやすくなる・・・登りやすくね・・・
登りやすいが傾斜はきつく延々と続く・・・山城ですからね。
一度頂上を思わせる精神的トラップの岩場を越えて、さらにもうひと頑張りすると・・・
いよいよ砥石城の主郭に到着! 皆様御苦労様~って、お経みたい!
ここに戸石城の解説があったのでいつものように見てみよう。
長野県史跡 戸石城跡
この城は東太郎山の一支脈が、神川に沿って南方に突出している高い尾根に構築され、本城を中心に北に枡形城・南に砥石城・西南に米山城を配した堅固な連郭式山城で、総称して戸石城と呼ぶ。
<本城>
戸石城全域で最も広大で、最上段の本郭から南へ二の郭・三の郭と続き、その東下または東南方面に四の郭・三日月形郭・帯郭等郭群の遺構をよくとどめている。本城の東南は小さな谷で、これを登る両側には小段郭が麓まで幾重にも続いており、登城口(大手)とみられている。
<枡形城>
北方最高所標高800mにあって自然の山頂を利用している。郭の西方入口に4平方mの枡形があるのでこの名が付いた。郭は長方形で、手前に半月形の段郭が二つある。
<砥石城>
本城の南に連絡しており、北下りの鞍部に幅9mの深い堀切がある。本郭は方20mの削平台形部郭で周囲の展望は実によい。
戸石城は村上・真田氏が戦略上重要視し、また重要な役割を果した城である。規模が大きく、四要害を二体として構築し、しかも居館としても用いられた極めて特色のある貴重な史跡である。
ちょっと戸石と砥石の使い方が混乱している様だったのでここでは修正してみました。
さほど広くは無い印象だが見晴らしは素晴らしく、物見としての役割は十分そうだ。
砥石城から南西方向の上田平方面は塩田城までも見渡せる。
ちなみに上田平(上田盆地)は千曲川西岸を塩田平とも呼ぶようだ。
南東方面には写真の赤い矢印側に小諸方面からや大門峠からの動きが監視できる。
見切れてはいるが東側の虚空蔵山の伊勢山城(伊勢崎城)や、さらに東にある矢沢城も見える。
北東方面には真田本城と真田氏館といった本拠地がよく見える。
戸石城が村上氏の拠点であった頃の緊張状態とはどのようなものであったろうか。
砥石城主郭の北側から「本城へ至る」の案内に従い本城へと向かう・・・が、
砥石城主郭北側は切岸になっておりロープ付きのスロープが設けられていた。
削られた砥石城主郭部が壁のように見える。さらに堀切もされていて防御を高めている。
砥石城から本城へと向かう。
尾根上は削平されているようで幅は広い。
比較的平坦な尾根筋をしばらく歩くと大手口の案内板に辿り着く。
正面には本城の段々の郭らしきものが見える。
ここから写真右下の細い道を下りて行けば水の手や麓の大手口へと向かう。
早速本城へと向かいたいところだが・・・次回へつづく・・・
米山城を分岐まで下りてきたので、今度は砥石城を目指す。
戸石城縄張図 青線が今回の砥石城ルートで本城付近の大手口まで行く。
宮坂武男著 「図解 山城探訪 第三集 上田小県資料編」より戸石城縄張図
登り始めから要ロープの険しさ・・・このまま上まで続くのなら軍手が欲しいところだが・・・
途中から階段が整備されていて登りやすくなる・・・登りやすくね・・・
登りやすいが傾斜はきつく延々と続く・・・山城ですからね。
一度頂上を思わせる精神的トラップの岩場を越えて、さらにもうひと頑張りすると・・・
いよいよ砥石城の主郭に到着! 皆様御苦労様~って、お経みたい!
ここに戸石城の解説があったのでいつものように見てみよう。
長野県史跡 戸石城跡
この城は東太郎山の一支脈が、神川に沿って南方に突出している高い尾根に構築され、本城を中心に北に枡形城・南に砥石城・西南に米山城を配した堅固な連郭式山城で、総称して戸石城と呼ぶ。
<本城>
戸石城全域で最も広大で、最上段の本郭から南へ二の郭・三の郭と続き、その東下または東南方面に四の郭・三日月形郭・帯郭等郭群の遺構をよくとどめている。本城の東南は小さな谷で、これを登る両側には小段郭が麓まで幾重にも続いており、登城口(大手)とみられている。
<枡形城>
北方最高所標高800mにあって自然の山頂を利用している。郭の西方入口に4平方mの枡形があるのでこの名が付いた。郭は長方形で、手前に半月形の段郭が二つある。
<砥石城>
本城の南に連絡しており、北下りの鞍部に幅9mの深い堀切がある。本郭は方20mの削平台形部郭で周囲の展望は実によい。
戸石城は村上・真田氏が戦略上重要視し、また重要な役割を果した城である。規模が大きく、四要害を二体として構築し、しかも居館としても用いられた極めて特色のある貴重な史跡である。
ちょっと戸石と砥石の使い方が混乱している様だったのでここでは修正してみました。
さほど広くは無い印象だが見晴らしは素晴らしく、物見としての役割は十分そうだ。
砥石城から南西方向の上田平方面は塩田城までも見渡せる。
ちなみに上田平(上田盆地)は千曲川西岸を塩田平とも呼ぶようだ。
南東方面には写真の赤い矢印側に小諸方面からや大門峠からの動きが監視できる。
見切れてはいるが東側の虚空蔵山の伊勢山城(伊勢崎城)や、さらに東にある矢沢城も見える。
北東方面には真田本城と真田氏館といった本拠地がよく見える。
戸石城が村上氏の拠点であった頃の緊張状態とはどのようなものであったろうか。
砥石城主郭の北側から「本城へ至る」の案内に従い本城へと向かう・・・が、
砥石城主郭北側は切岸になっておりロープ付きのスロープが設けられていた。
削られた砥石城主郭部が壁のように見える。さらに堀切もされていて防御を高めている。
砥石城から本城へと向かう。
尾根上は削平されているようで幅は広い。
比較的平坦な尾根筋をしばらく歩くと大手口の案内板に辿り着く。
正面には本城の段々の郭らしきものが見える。
ここから写真右下の細い道を下りて行けば水の手や麓の大手口へと向かう。
早速本城へと向かいたいところだが・・・次回へつづく・・・
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